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Blog: Social impact issues2021.05.29

The battle is not with Corona, but with the ego of modern economic system

 東京オリンピック開幕まであと55日、9都道府県で緊急事態宣言が再延長となった。政府は「全体の8割を超える英国株さらにインド株の流行により感染者数の減少に以前より時間を要する」とあたかもコロナウイルスが悪者の様な弁解をしているが、大型連休の人流政策の失敗により北海道・沖縄で流行が拡大したことに加えて、依然としてワクチン接種が進まない改善策を提示し説明すべきであろう。今年5月の世論調査で内閣支持率は過去最低の32.2%を記録した。この低い支持率で政府がただただ市民に「お願い政策」を念じたところで有効な協力を得られるはずがない。

 その一方で俄かに囁かれているのがオリンピック中止論である。政府は「開催ありき」を前提に計画を進めているが、誰の目にも背後に国際オリンピック委員会(IOC)の圧力を垣間見ることが出来る。五大紙面を見てもオリンピックを推進する政策に忖度しているのか、これだけ世間で中止や延期の声が多いにもかかわらず、反旗を翻した論をあまり報じていない。むしろこの数日報じたのは、野村総研が弾いた東京五輪が中止された場合の国の経済損失額が1兆8108億円 、国内総生産(GDP)換算で0.33%に相当するとした試算である。

 私たちはこの額をどう捉えるべきであろうか。2020年、日本のGDPは戦後最大の-5.3%にまで落下したが、この数字には過去2回分の緊急事態宣言で損失した約-0.6%のGDPが含まれている。またこの度の緊急事態宣言再延長に伴うGDPの損失額は-0.2%と試算されている。五輪を開催して1兆8108億円、つまり+0.33%のGDPの利潤を得ても、国内の人流と海外選手の招聘で夏以降に再び感染が拡大し4度目の緊急事態宣言が発令された際には、開催の利潤を上回る巨額の経済損失が日本社会に生じ得るのである。

 国内死亡者が約12,700人を超え、医療が逼迫し変異株を警戒する中、有識者と市民の間で中止・延期を議論する政府主催の公開討論もないまま、政府が経済の見通しも立たずに開催ありきの姿勢を貫くのはなぜか。中止の際には、IOCと東京都の間で交わされた開催都市契約に反するため日本側は巨額の賠償金を払わなければならない。オリンピックのテレビ放映権料を購入した米国マスメディアとIOC側にも違約金を支払う義務が生じる。しかし契約時点で予測しえなかった世界的なコロナウイルスの影響を考慮し、損害賠償責任は国際司法の場であるスイスローザンヌのスポーツ仲裁裁判所に託されるだろう。さて五輪を中止した際、現政権はどうなるのだろうか。度重なるコロナ対策の失敗、IOCへ支払う巨額賠償金、戦後最大の経済損失とGDP下落更新…どう考えても内閣支持率の低下と政権降ろしは避けられない。しかし市民目線からすれば、政府が五輪にそそぐ資金とエネルギーを国内コロナ対策や市民生活に尽力することで、逼迫かつ疲弊した医療は快方に向かい救われるべき命の可能性が高まる。そしてもしも五輪を開催するならば、国際的な取り組みである持続可能な開発目標 (SDGs) に即して、開催規模を縮小した「エコ五輪」に発想転換するべきであろう。さながら開催さえすれば他人事なのか、ここにきて当のIOCは五輪出場選手に「東京でのコロナ健康被害は自己責任」とする唐突な参加同意書の提出を五輪憲章に紐付け義務付けている。

 近代以降、オリンピックは世界平和を目的としたスポーツの祭典と称されてきた。しかしロサンゼルス以降、現代オリンピックの経済規模はあまりにも肥大化し過ぎた。巨額の富には黒い利権が群がる。今まさに我々はゲームのルールを書き換える岐路に立たされているのではないだろうか。打倒すべき相手はコロナではない。日本社会そして国際社会に蔓延るエゴである。

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