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Blog: Social impact issues2021.06.09

オリンピックを開催する目的とは

 オリンピック開幕まで一月半、開催の動きが加速し始めている。近代オリンピックは主催国の国際関係やパワーバランスのもと4年毎に開催され、この度の東京大会で32回目を迎える。スポーツの祭典が世界規模である以上、開催の是非は国際社会と日本そして国際オリンピック委員会(IOC)を交えた政治交渉が欠かせない。近代オリンピックは1896年のアテネ大会以降、戦争など様々な国際問題に対してその度政治が介入して開催を繋いできた。提唱者であるピエール・ド・クーベルタンは当初「スポーツによる国際交流」という平和的な構想を企図した。しかし最初期のオリンピック開催の議論から既に平和の意図には陰りが見えていた。彼自身、公の場で初めて五輪のアイデアを発表した瞬間を回顧し、反響が予想より極めて小さく、実施規模も予算の都合と相まって万国博覧会に付随する細やかな程度と告白している。階催地の議論でも古代オリンピック発祥の地であるギリシャが毎回行うと主張し各国で順に行う折衷案と対立した。しかし皮肉にもギリシャの国内経済が悪化し便宜的に各国開催の方式が組まれ今日に至っている。


 近代オリンピック以前、世界が一堂に会する最大の催しは万国博覧会であった。オリンピックの規模が万国博覧会の規模を凌駕するほど膨らんだ契機は1936年のベルリン大会である。強調するまでもなくこの大会の背後にはナチス・ドイツとヒトラーの野望があった。ゲルマン民族とドイツ帝国の再興を掲げたナチスのアイロニーと称揚が、後にオリンピックのプレゼンスや政治性を高める拍車となった。ヒトラー以降、スポーツに政治が介入すればするほど競技を通じて国と国が対戦する構図が高まり、相まってメダルの数が国の力を反映するイメージ戦略に反映されるに至った流れは、極めて示唆的である。加えて経済的要因も近代オリンピックと国際社会の接点として肥大化した。1984年のロサンゼルス大会以後、テレビ放映権料が大会主催者側の巨額の収益源となり、大会規模の漸次的な拡大に一役買ってきた。さらにサイバーテロやセキュリティ対策費用の増大も顕著である。2012年、ロンドン大会ではテロリスト対策として大規模な軍隊の動員が図られ、それ以降オリンピック開催に軍隊が導入される傾向が続いている。コロナが蔓延する東京ではボランティア主体の遂行方式は到底不可能であり、現実的には多くの自衛隊員を配備した安全と感染、そしてテロ対策が敷かれると予想される。

 過去の日本のオリンピック招致にしても、全てに政府が介入した裏がある。太平洋戦争の影響で開催の潰えた1940年の東京大会招致では、日本政府は同時に立候補したローマに開催辞退を要請した。1964年東京大会の前のIOC総会でも、コペンハーゲンとカラチに同様の働きかけをしている。この度の東京大会でも、開催決定前から日本航空の国際線を拡充し外務省から各国在外公館に便宜を図る要望書を送るなど、他国や国際企業への周到な根回しがあった。


 五輪を主催すると莫大な経済効果を得る可能性がある。政治的にも開催という歴史的業績を誇れるだろう。だが昨今の日本政府の動向を見るに、政府はオリンピックの招致や開催を未だに「スポーツによる国際交流」よりも「包括的な国策」と位置づけているらしい。コロナのリスクと背中合わせにオリンピック開催へと突き進む胸中の目的は、国家や政治家のレベルとアスリートや市民のレベルとでは全くもって異なるようだ。

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