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Blog: Social impact issues2021.09.01

What should the international community learn from the fall of Kabul?

 2001年9月11日、世界貿易センタービルとペンタゴンを標的としたアメリカ同時多発テロ以降、アメリカはテロリストの温床になるとして20年来米軍をアフガニスタンに駐留させ、タリバンの支配地域に侵攻して均衡を維持してきた。しかし2020年2月、報復として始まった対テロ戦争もトランプ大統領とタリバンの間でカタール・ドーハ和平合意が締結。米軍の撤退が始まるや否や、タリバンは矢継ぎ早にアフガニスタンの34の州都を制圧し、2021年8月上旬には第2の都市カンダハルを占領。そして8月15日、タリバンは首都カブールを「無血開城」し、アフガニスタン政権は地に倒れた。アシュラフ・ガニ大統領がドバイに逃亡すると、後を追うようにカブール国際空港には国外脱出を求める市民が殺到。米大使館の上空には米軍ヘリコプターが飛来し米大使館員らを収容搬送した。アメリカ史上で最も長く20年あまり続いた米・タリバン戦争における米国敗戦を決定づけたこの光景は「カブール陥落」と称され歴史に刻まれた。過去にこの光景と似通った史実として、1975年の「サイゴン陥落」において、米が支援した南ベトナムに北ベトナムが勝利すると、米軍放送から流れた『ホワイトクリスマス』を合図に数百人以上のアメリカ軍人や在越アメリカ人が一斉に大型輸送ヘリコプターCH-53へ退避し、ベトナム国内から脱出したフリークエント・ウィンド作戦を多くの米国民が回顧したことがその所以であろう。

 しかしそもそもアフガニスタンに対するアメリカの侵攻は、1978年に支持率が低下した共産主義政権を擁護するためにソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻したソ連・アフガニスタン戦争に端を発している。東西冷戦が激化したその時代、旧ソ連を敵視したアメリカがアフガニスタン側に加勢し、ソ連に対抗するウサマ・ビン=ラディンらに軍事資金を提供したのがその経緯と言われている。つまり米ソ間の代理戦争がアフガニスタンという地で展開した迄で、歴史の展開を顧みると、煽りを受けた一端はむしろアフガニスタンとも受け取れる。このソ連・アフガニスタン戦争は1996年まで10年続いた末に、イスラム系反政府ゲリラ組織であるアルカイダが台頭し、最終的にタリバンがアフガニスタン政権を掌握し支配した。やがて月日が流れて2001年、昨日の見方は今日の敵となる。かつて米から支援を受けていたウサマ・ビン=ラディンをかくまうタリバンは反旗を翻し、米同時多発テロを企て実行した。強いアメリカを襲った9.11という出来事の衝撃と国際社会が凍り付いた恐怖は、けして語れるものではない。アメリカはこの仇討に対してタリバンを対テロ組織撲滅のための象徴として敵視抑圧し、侵攻外交を繰り広げてきた。


 米国史上最長の20年を要した対テロ戦争はジョージ・ブッシュ政権時に勃発し、バラク・オバマ、ドナルド・トランプ、ジョー・バイデンと4人の大統領によって引き継がれ、カブール陥落を以ってその幕を閉じた。「戦争は、外交の失敗以外の何物でもない」と経済学者ピーター・ドラッカーは論じている。カブール陥落から国際社会は、そして我々は何を学ぶべきだろうか。アーネスト・ヘミングウェイは「いかに必要であろうと、いかに正当化できようとも、戦争が犯罪だということを忘れてはいけない」と言葉を残し、他方マキャベリは「やむを得ないときの戦いは正しい。武器の他に希望を絶たれたときには、武器もまた許されるものである」と主張している。しかしただ一つ明らかなことは、新たな戦争を始め続けることより平和を手に入れることの方が、人類には遥かに難しいということだ。

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