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ノーベル賞に欠けている分野
2021年のノーベル文学賞はタンザニア出身のアブドゥルラザク・グルナ氏が受賞した。2018年に文学賞の発表を控えたストックホルムの選考委員会不祥事問題もさることながら、各々の言語にはそれぞれ美しい響きや歴史ある言い回しがある「文学作品」というカテゴリーでありながら、多くの受賞者が英語圏出身であり、英語で翻訳出版された作品から文学賞が選出されてきた「ヨーロッパ中心主義」の選考過程が問題視されている。ノーベル文学賞はノーベル英文学賞ではない。物理、化学、医学・生理学、そして経済学の分野はサイエンスであり英語が標準化されているが、言語表現を極限まで駆使した芸術である文学賞を審査する状況においては、その言語の土着性を尊重しなければならない難しさがある。
受賞のグルナ氏はタンザニア生まれではあるが、文学活動の舞台はタンザニアではなく英国である。グルナ氏は難民として英国に渡り21歳より小説活動を開始、名門ケント大学院を修了後は同大学文学部で教授を務めた才人である。イギリス連邦タンザニアの公用語はスワヒリ語と英語であるが、グルナ氏はの作品は母語のスワヒリ語でなく英語である。そのためタンザニアにおけるグルナ氏の知名度は英国ほど高くはない。EUは長年アフリカ・ギリシア・中東危機等による移民・難民問題を抱えてきた。グルナ氏の作品には自らの生い立ちと照らし合う難民・人種差別問題・植民地支配が描かれ、EUが直面しているポストコロニル文学として政治的評価と審査が世情と一致した見解もある。過去5人のアフリカ出身文学賞受賞者にしても、4人は母語でなく英語で創作を発表している。いずれにせよグルナ氏がタンザニア出身であり、この度の受賞によりアフリカ文学が注目される弾みとなれば嬉しく思う。
また同様に受賞者が少ない文学分野がアジア文学である。アジアでは2012年に中国の莫言氏が受賞して10年来、一人も本賞の日の目を見ていない。2012年に受賞したカズオ・イシグロ氏は長崎市出身であるが、小児期に英国に渡りイギリス国籍を取得した、母語が日本語のイギリス人である。イシグロ氏もまた英ケント大を卒業後、英文で文学創作を発表をしている。2006年にフランツ・カフカ賞を受賞し数年来最有力候補者と注目される村上春樹氏は、この10月1日に母校早稲田大学国際文学館に村上春樹ライブラリーが開館し、1968年川端康成氏、1994年大江健三郎氏に続く日本人3人目として期待されたが、その朗報は来年に持ち越された。
近年の文学賞で最も話題となった受賞は、2016年の米国人、ボブ・ディラン氏だろう。ミュージシャンとしての彼の名は、英国詩人のディラン・トマスに由来する。歌と詩を愛したディラン氏の創作は文学ではなく曲と歌詞である。「新しい詩的表現者」として文学賞審査員に評価されたディラン氏は、弱冠21歳で『Blowin' in the Wind』を発表している。ディラン氏の歌を聴いて口ずさんだ世界中の人々は、文学賞としての新しい詩的表現もさることながら、その歌詞に込められた人権・自由・平和そして戦争に対する深い思いに共感したと思索すると、この偉大なミュージシャンには文学賞とともに平和賞を贈呈したい次第である。
さて、ここでボブ・ディランが文学賞と平和賞のいずれに相応しいかという愚論が生じる原因として、ノーベル賞には音楽賞や芸術賞の設定がない問題がある。同様にノーベル賞には数学賞も欠けている。そもそもノーベル賞自体が科学者アルフレット・ノーベルの遺言に端を発するため彼の構想に無かった賞は存在していない。今日では芸術と数学の両分野はそれぞれ更なる発展を目的として、アカデミー賞とフィールズ賞が設立されている。しかしノーベルの遺言に反してノーベルの死後に設立された経済学賞(正確にはアルフレット・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞)の経緯を辿ると一抹の矛盾もある。
もしもノーベル音楽賞が設立されたならバッハ・ベートーベン・ショパン・モーツアルト、数学賞ならフェルマー・ニュートン・デカルトを候補としたいが、あいにくノーベル賞には「受賞決定の時点で本人が生存している」という条件が規定されている。従って中東アフガニスタン・パキスタンの平和維持と発展に寄与ながら不運の銃撃で命を落とした中村哲医師は、残念ながら次期平和賞のリストに入ることが出来なくなった。ノーベルはまた「前年度に人類に最大の利益をもたらした者を讃える」と遺言に求めている。この2年来、世界はコロナウイルスの流行と戦い、心疲れた民は癒しと希望を求めている。人類は有史以前から危機的状況に遭遇した時、神や宗教に平和と救いを求めて壮大な建築物や儀式による宗教芸術を創り出してきた。然るにコロナ禍の現代、我々は平和に対する芸術の力を真摯に見つめ直すべき時ではないだろうか。私は2022年の平和賞は政治的な受賞でなく、ボブ・ディラン氏に続く芸術分野、特に音楽界からの受賞を熱望する。20世紀に人類が創り出した最も動員力と影響力、そして多くの人々に親しみと希望を与えた音楽芸術はロックミュージックである。ジョン・レノン氏とジョージ・ハリスン氏が他界した今、存命中というノーベル賞の規定を鑑みると2022年の平和賞に最も相応しい人物はポール・マッカートニーとリンゴスターの両氏だろう。
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