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中国共産党における国家、軍、民衆、政党、指導者
中国湖北省武漢から新型コロナウイルスの世界的流行が勃発して2年、2022年2月4日~20日で北京冬季五輪が開催されている。無観客開催であるがこの開催は、ゼロコロナ政策を断行した習近平国家主席の悲願である。何故なら五輪後の夏に予定される中国党大会では、自身4期目となる国家主席の続投が係っており、冬季五輪の成功をその前哨戦と位置付けるからだ。五輪開催前に騒がれた西側諸国の外交的ボイコットを異様なほど静観した習氏だったが、開幕後はロシアプーチン大統領との外交会談を皮切りに、外交的ボイコットに同調を示さなかった20余りの国々と、巨大経済圏構想たる「一帯一路線」を掲げ、分刻みのスケジュールで首脳級会談を繰り広げている。開催前はスポーツの政治利用を徹底的に批判した習近平氏が、開催後は度を超すほど外交演出に熱を上げる変わりよう。このしたたかさを通り越す巧みな外交戦術こそ、中国共産党という一強政党国家において民衆と社会に厚く支持される指導者のスタンスなのだろう。それでは中国共産党における国家、軍、民衆、政党、指導者とは、如何なる関係性にあるのだろうか。以下、中国共産党の結党以前の歴史的変遷を踏まえて振り返りたい。
中華人民共和国の建国、つまり中国共産党の起源は1921年にまで遡ることができる。ロシア革命に影響を受けた中国国内の知識人により、同党は結党された。日中戦争が勃発すると中国共産党は蒋介石の率いる国民党と連携したが、戦後は国民党との対立が顕在化し、全面的な内戦状態に突入していく。第二次世界大戦を経て、国民党との内戦に勝利し、1949年に中国共産党による一党支配のもとで中華人民共和国が誕生した。
中国のこうした共産党国家の誕生の背景は、他の共産主義国家とは異なる特殊な地政学的文脈がある。中国は18世紀に至るまで朝貢貿易を通じて東アジアを支配し、紛れもなく世界最大の国際的影響を有した。しかし19世紀に近代化した西洋諸国と遭遇後、アヘン戦争など植民地的侵略の標的となり、西洋の帝国主義に屈さざるをえなかった。この経験が中国のアイデンティティに大きなトラウマを残す。当時の若い知識人たちは、このトラウマを払拭すべく、帝国主義的な西洋諸国を侵略者として設定し、帝国主義に屹立する別の反帝国主義的な国家として、中国を構想するようになった。この思想が現代中国の共産主義を根本的に動機づけている。そもそも共産主義は、一部の資本家による労働力の搾取を革命によって克服し、万国の労働者の団結に基づく体制の樹立を目指す組織で、労働者の解放に国籍による差別はない。したがって共産主義の原則はインターナショナリズムである。対する中国共産党の共産主義思想の根幹には、労働者の解放と同時に、西洋帝国主義に対する中国の解放というナショナリズムが根差している。ここに中国共産党の独特な歴史的文脈が示されている。
共産主義思想の根幹には、革命による社会構造の改善がある。その方法論は中国共産党も同様で、中華人民共和国を建国した毛沢東は、都市から農村に至るすべての資源を国家が一元管理する、中央集権的な国家体制の計画経済を導入した。また反乱分子を粛清するため、1966年にかの「文化大革命」が行われ、中国国内は混乱に陥いる。1976年、毛沢東の死後に新指導者に就いた鄧小平は「改革開放」へ党方針を転換し、海外から積極的に新技術や資本を導入した。一方、共産主義思想を貫きながら市場経済も発展させる独自路線を築き上げた。しかし、1989年に勃発した「第二次天安門事件」では民主化を求めるデモ隊に対し、軍におる武力弾圧を行い、多数の死傷者を出し国際社会から強く非難された。
毛沢東と鄧小平は中国共産党において、政治家ではなく精神的支柱に位置付けられる。20世紀の中国共産党は指導思想として、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、小平理論を掲げていた。21世紀からは、新たな指導思想として三つの代表(2002年)および科学的発展(2007年)が加えられている。いずれにせよ中国共産党の指導者は、政治的リーダーとして世論を代表して、国民を統合・指導・啓蒙する存在に位置している。
一方、文化大革命と天安門事件は、中国内部において民衆が一枚岩ではなく、むしろその中央集権的な国家体制に不満の種を抱えていた事態を示している。この他、1979年には民間新聞『探索』の編集長を務めていた魏京生が逮捕され、北京市の革命委員会がデモ行進・壁新聞規制を通告する事件が起きたが、弾圧をも辞さない政府の言論統制に対して民衆・学生の怒りは高まり、1986年に合肥では学生による民主化運動開始され、全国へ波及した。
人民解放軍と共産党の構造を分析すると、中国民衆が考える革命とは、関係者の合意に基づく変革ではなく武力による変革と言える。中国共産党にとって武力はその国家体制を維持する最重要要素なのだ。この役割を担うのが人民解放軍である。人民解放軍は中国憲法に拠ると、「中華人民共和国の武装力量は人民に属する」と統治される。ただし国防法の規定では、「中華人民共和国の武装力量は、中国共産党の領導を受け、武装力量内にある共産党組織は共産党の規則に従って活動する」と明記される。したがって、中国の軍事力は国民の所有物であるも実質的行動は共産党によって指導、規定される。また、事実上元首である国家主席は、宣戦布告、動員令発布の権限を有する一方、中央軍事委員会は「全国の武装力量を領導する」権限をもつ。また、党の最高位である党総書記が中央軍事委員会の首席に着任し、副主席およびその他の中心的なメンバーは中国共産党の中央委員の要職に就いている。この意味において、人民解放軍は国家主席の指揮下には置かれず、共産党幹部で構成される組織がその最高統帥権を有すると考える。そもそも、人民解放軍を構成する軍人たち自身が共産党員なので、人民解放軍は、独自の意志をもった組織でもなければ、元首の私有物でもなく、産党の軍隊という性格を持つ。
一方、共産党員は中国社会におけるエリート層であり、行政・司法機関・企業・農村などの各部門で指導的な役割を発揮する立場にある。党員になるために厳しい資格審査を通過しなければならない。すなわち、18歳以上の者で、党員2名の推薦を必要とし、学校等での成績が優秀であること、家族や親族の政治的な信条に問題がないことなどが厳格に審査され、それらをすべてパスして入党したとしても、党による思想教育を受けなければならない。そうした思想教育を経て正式に党員になるまでに1年以上が要される。また、全国に存在する中国共産党員のうち、およそ200人のエリートによって構成されるのが「中央委員」である。中央委員は5年に1度の党大会によって選出され、任期は原則として5年である。中央委員を務める者の多くは人民解放軍や企業の幹部であり、1年ごとに開催される「中央委員会総会」に出席して、党の重要な政策指針を検討し、確認することになる。また、総会では「政治局常務委員」の人事を決定するという役割も負っている。政治局常務委員とは中国共産党の最高指導機関であり、事実上の中国共産党の最高権力の地位である。このうち、1位が「総書記」と呼称されて「国家主席」を務め、2位以下がその他の政治的な要職に就く。中国共産党において最高意思決定機関は党大会であるが、日常的な決定事項は政治局常務委員の裁量に委ねられる。
こうして過去世界で類をみない規模の経済成長と独自路線を模索した中国であるが、その契機は前述の通り、鄧小平はそれまでの閉鎖的な中央集権的国家体制を見直し、自由経済に対応しうる開放路線を打ち出したことにある。第二次天安門事件などの政治的な混乱にも直面したが、この路線変更は功を奏し、中国の経済は驚異的な速度で成長した。しかし、そもそも共産主義思想は資本主義を克服すべき思想として構想されている以上、その思想を維持しつつ自由経済に適応するには、党理論の見直しが必要になる。中国共産党は、政治的な根本的指針の四つの基本原則として社会主義の道、プロレタリア独裁、共産党の指導、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想の堅持を掲げている。これらの原則は、資本主義経済になびいていく国内のブルジョア化を抑制し、言論の自由を封じ込むことで、一党独裁体制の維持を根拠づける基軸として機能している。だが、70年代後半の開放路線以降、貧富の格差や、経済発展の格差、社会階層の乖離、国民の分断など、中国国内で様々な問題が氾濫した。さらに、経済のグローバル化やインターネットの流通により、中国国内から海外の動向を容易に把握できるようになり、国民の政治意識が多様化した。こうした状況変化に対応するため、1992年の第14回党大会では「社会主義市場経済の確立」が提起され、事実上の資本主義化路線が加速していく。
時を同じくして、1990年初頭にはソ連および東欧の共産主義国家が次々と崩壊し、冷戦体制が終結した。これにより中国は、かつての共産主義に回帰する道を完全に閉ざされた。2001年には世界貿易機関(WTO)に加盟し、より激しいグローバル資本主義の競争に参画することで、以降は経済成長の一途を辿る。2002年の党大会では、これまで共産主義の思想に照らして「階級敵」と目されてきた有力な資本家も、共産党への入党が許可されるようになった。ただし、中国共産党の論理に従うなら、それはあくまでも「社会主義市場経済」としての経済発展であり、他の資本主義国家とは一線を画している。依然として、中国共産党による一党支配は持続しており、民主化を求める言説は封じ込められ、未だしばしば政治思想的な知識人は弾圧されている。当然、中央政府によるインターネットでの言論統制は2000年代以降、より強化されている。中国では裁判所も共産党指導下にあるため、一国二制度と問題視された香港問題については、2019年6月には100万人規模の一連の講義活動デモが展開されるも香港国家安全維持法の下、その中心となった活動家らが政治犯として次々に逮捕された事件は記憶に新しい。
経済発展を継続させながら、同時に社会主義経済を確立させるという独自の路線を模索しているのが、現状における中国共産党の姿といえる。とりわけ、2012年11月以降、最高指導者である習近平氏の派手な振る舞いは、同国の経済成長も相乗して民衆と共産党員の心意をしっかりと掴んでいる。米国経済誌 Forbes の2018年5月号で、同氏は世界で最も影響力のある人物に選ばれている。米国一強の時代は最早遠い過去の昔話となった。北京五輪後のコロナと共存する世界のパワーバランスがどの様な方向に歩むのか。この度の外交的ボイコットに関しても西欧諸国の動向ばかりを強く気にした日本であるが、東アジアの隣国として、中国経済と共産党の政治観に対する注視を怠ってはならない。
【参考文献】
尾形勇・岸本美緒編『中国史』山川出版、1998年.
佐々木智弘「中国共産党の一党支配の変容と統治安定」『現代中国研究』20号、pp. 35-44.
平和外交研究所「四つの基本原則と習近平体制」http://heiwagaikou-kenkyusho.jp/china/129.
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